ホームステイ
サーファーズパラダイスに到着した当日の午後、現地エージェントに、 ホストマザーと1歳の娘さんが車で迎えに来てくれました。
日本にいる間に、ホームステイの方の情報は聞いていたのですが、 私は29歳なのに、ホストマザーが21歳、
ホストファーザーが22歳でとても若くかなり心配でした。
実は、私の思い描いていたホームステイ像は、 優しそうなおじいちゃんやおばあちゃんがいるお宅だったり、 私より年配のご夫婦で、小学生の子供たちがいて、動物を飼っていてというイメージでした。
ホームステイを受け入れている人たちは、みんな日本の文化や日本人に興味があって、日本人をホームステイとして 受け入れてるんだと思っていました。
ある時、ホストマザーが、 「現地エージェントに書いてもらったチェック(小切手)の名前が違ってるからまた行かなくちゃ。」と言って私にそのチェックを見せてくれました。 「ああ、この人たちはお金目的で
ホームステイを入れてるんだ!」と思いました。 その時は、ちょっとがっかりしてしまいました。
ホームステイのご飯
「朝は食パンとバターがあるから、トースター使って勝手に食べてね。」と言われ、 それは、まだいいんですけど、 晩御飯は4週間ついていたのですが、ホストマザーが料理が苦手なのか、 インスタントスパゲティなど、インスタント系が多かったです。
一度、「旦那がシェフだから、明日は旦那が料理を作るね!」と言われ、 期待してお腹を空かせていたのですが、 出た料理は、小さな骨付きチキンがなん十個も。。。それだけでした。
あと、「今日はお寿司をテイクアウェイしに行くから一緒に行く?」とか 「サブウェイにテイクアウェイに行くけど一緒に行く?」と言われ、 一緒に行ったのですが、晩御飯は込みのはずなのに、払ってくれなかったので、自分で払いました。
その時は、もし現地のエージェントに文句を言ったら、 ホームステイ先が気を悪くして、私への態度が変わったらやだなと思って言えませんでした。
ホームステイの場所
ホームステイ先は、Ashmore(アッシュモア)という所でした。
サーファーズパラダイスからは、バスでオーストラリアフェアで一回乗り換えて、 合計1時間くらいかかりました。
初めてバスに1人で乗った時、ホストマザーが紙に書いて詳しく教えてくれたのですが、 オーストラリアフェアで教えられた通り、乗り換えバスを待っていたら、1時間たっても来なくて、おかしいな~と思っていたら、 乗り換えのバスは、道路を渡った反対側から出ていました。
英語でのコミュニケーションは難しい。。。と思いました。
また、行きも帰りも、全くと言っていいほど、目印になるものがなく、 帰りはどこで降りたらいいのか全然見当もつかなかったので、 バスの運転手さんに、バス停の名前を書いた紙を見せて、 「このバス停で降りたいので教えてください」と言ったら「いいよ」と言ってくれたのに、 完全に忘れられていました。
私が運転席に近づき「下りるバス停過ぎたような気がする。」というと、「ここで止まることはできないから、とりあえず、終点のネラング駅まで行って。」 と言われました。
ネラング駅に着くと、4月なのでオーストラリアでは季節は秋なのですが、夕方6時なのに、外は真冬の夜のように真っ暗でした。
駅は人っ子一人いなくて、1つだけある売店もシャッターが閉まっており、 私はここで殺されるか、誘拐されるんじゃないかと思ってしまいましたが、 バスの運転手さんが、「あと10分くらいしたら、反対行きのバスが来るから、バスの運転手さんには伝えておくから、そこで待ってて。」と言われました。
待つこと約10分、、、 20分くらいに感じました。
そして、暗闇からバスが1台、バスの運転手さんに、 「聞いてるよ!乗って!」と言われ乗り込んだら、誰も乗客がいなくて、 これまた心配になりましたが、無事に送り届けてくれました。
ホストマザーに電話する英語力も勇気もなく、 バス停から家まで、また暗い道を10分くらい歩いて帰りました。
これが、今の時代だったら、携帯でマップをみて、今自分がどこにいるかわかるんですけどね、、、
今は便利な世の中ですが、昔はほんとに不便でした。
次はシェア探し編を書きます。