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主人の実家に住む

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主人の実家での生活

6か月間、主人とサーファーズパラダイスに住んだ後は、もう私のビザが4月の終わりまでの約2か月間しか残っていなかったので、アパートの更新はせず、主人の実家にお世話になることにしました。

アパートに住んでいた時は、多分、私はレントの約半分、週100ドルを払っていました。

でも、主人の実家ではレントは払っていなかったような。。。 忘れました。

一緒に住んでいるときは、主人の車が途中で止まりそうなくらい古ーいし、フルタイム(正社員)ではなく、カジュアル(アルバイトみたいなもの)で、お金もあまり持っていなさそうに見えましたが、買い物に行ったり、食事に行くと主人が全部お金を出してくれました。

なので、最後の方はそんなに私がお金も使うこともなかったような気もしますが、なぜか、貯めた100万も、ツアーガイドやウェディングで働いていた収入も全部きれいに使ってワーキングホリデーが終わりました。

主人の家には、主人のお母さん、お父さん、お兄さんと、猫1匹いました。

お父さんは前から卓球クラブで知っていたので、大丈夫だったのですが、主人のお母さんの英語が最初全然聞き取れず困りました。

お兄さんは、確かホテルの駐車場の掃除の仕事を夜勤でやっていたので、昼間は寝ていました。私とあまり会話をすることはなかったです。

実家はネラング(Nerang)というサーファーズパラダイスからは車で30分ほどの内陸にあったのですが、

家も古く、家にゴキブリがよく出ていて、怖くて夜寝れませんでした。

主人も夜勤だったので、夜はずっと明かりをつけてテレビやビデオをみて、主人が帰って来てから私も昼間に寝ていました。

ワーキングホリデーを終えて

ずっとオーストラリア人のいる所に住んでいましたが、 1年では英語は思ったほど上達しなかったと思いました。  

1年は短すぎました。  

聞き取りは慣れて来たとは思いますが、 自分の言いたいことが英語ではなかなか出てきませんでした。

4月25日にオーストラリアに入国したので、余裕をみて、ビザが切れる数日前に日本に帰国しました。

オーストラリアに行く前に、ブリスベン空港~関空までの帰りのチケットを取っていたのですが、

私が1年オーストラリアにいる間に、うちの両親が愛媛から東京に仕事の都合で引っ越していて、妹も一緒に東京についていって、愛媛には誰もいなかったので、帰りは、関空からまた東京まで飛行機で飛びました。

主人はその年の6月に日本へ、私の両親に結婚の話をしに行くと言って、ブリスベン空港まで送ってくれました。


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オーストラリア(ゴールドコースト)の主婦生活
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